内田裕也さん、フェアトレードの商品買ったほうがいいですよ(「世界征服」は可能か?を読んで)
お前のロックは死んだのか
まずは私の話を聞いてください。
大学時代に学校に行かず単位も取らずに、軽音サークルにのめり込んでいる友達がいました。
私は心配してよく彼に連絡をしたものです。しかし、彼は一向に学校に行こうとしない。
その態度を見て私はあることに気づきました。大卒というブランド、入学前にしてきた勉強時間、クソ高い学費、その全部をかなぐり捨てるそれこそがロックなのではないかと。
そう思ってからは私は彼を心配することをやめました。
半年後、そいつは将来のことを考えて、結局授業に来るようになりました。
久しぶりに会った「お前のロックは死んだのか?」と馬鹿にしたのはいい思い出です。
ロックとは何なのか
この記事のテーマは「ロック」とは何なのかです。いったいロックとは何なのでしょうか。ロックンロールおじいさんこと内田裕也はこんなことを言っています。
俺がロック一筋で通せたのは、ヒット曲がなかったからだ。
「ロックの世界で食べていく」という生き方は社会に迎合しているのでそれ自体が矛盾した生き方なのでしょうか?
(警察官に向かって)お前らは俺を逮捕することなんか出来ないぜ。なぜかって?俺はロックスターだからな。
シド・ヴィシャスの言葉だそうです。「ロック」=反社会を最も格好良く表現したことばではないでしょうか。これ以上ロックは何なのか考えるのは粋ではない気がしてきました。
その他にもロックの意味はそもそもない説や、ロックは女の子にモテるための道具説などいろいろな定義がありますが、大元には反社会という考えが据えられています。
では、反社会とはなんでしょうか。
岡田斗司夫流 反社会の定義
社会に迎合しない、反社会とは非常に難しいことです。ロックスター達もそれに頭を悩ませて、「ロックは死んだ」という発言もされています。
そもそも反社会とはどういうことなのでしょうか。犯罪を犯すことでしょうか。そのヒントを岡田斗司夫さんは著書「世界征服は可能か?」の中でこう述べています。
「悪による世界征服」とは、「現代の価値観や秩序の基準」を破壊することなんですね。
明治時代は富国強兵を否定することが悪であり、戦時中は戦争を否定することが悪でした。もちろん現在では違います。悪は不変なものではありません。
私はこれを読んでいるときに漫画ワンピースのドフラミンゴの発言を思い出しました。
「海賊が悪?海軍が正義?そんなものはいくらでも塗り替えられてきた!」
「平和を知らねぇ子供共と、戦争を知らねぇ子供共との価値観は違う!」
「頂点に立つ者が善悪を塗り替える!」
「今この場所こそが中立だ!」
めちゃくちゃシビれるじゃないですか。価値観のぶつかり合いですから頂上決戦編はおもしろいわけですね。
では現在を規定する価値、ドフラミンゴ風に言えば「頂点に立つ者」が「塗り替えた」現代の価値観とはなんなのでしょうか。
「世界を支配しよう」と思えば、それはもう「経済と情報の自由化」を否定するしかありません。
要するに経済の自由化を否定する行動が悪ということです。
最初の私の友達の話に戻ります。彼はロックを実践するために家に籠ってはいけなかった。軽音サークルに入ってはいけなかった。自由貿易を否定する、つまりフェアトレードサークルに入ることが一番の反社会、一番のロックだったのです。