「バカ」という言葉を変えたバカリズムの話
自分にあった新書を探すのって難しいし疲れます。
私はタイトル、発行年数、発行部数、まえがきを読んで総合的に選ぶんですが、探している間に足が痛くなる。
小説なら感想とか評価とか見て簡単にモチベーションを作れるからいいんですけど
新書は人に薦められたけれども文が堅すぎて読み進められないということが多い。
とにかく自分にとって良い本に出会うのが難しいんです。
そんなことを考えながら、本屋で右往左往する間に気づいたこと。
「バカ」がつくタイトルめっちゃ多い。
養老孟司の「バカの壁」をはじめ、中川淳一郎「ネットのバカ」勢古浩爾「日本を滅ぼす「自分バカ」」適菜収「バカを治す」などとにかくめちゃめちゃあります。
そいで「馬鹿」と漢字で表記されているいるものはほとんどないんですね。
確かにそうしてた方が目にとまる。
なんか「お前のこと言ってるんだぞ、そこのバカ」みたいな圧迫感があるから、なおさら。
手に取って見てみたら哲学チックなことが書いてあります。
なるほど。
ニーチェやハイデガーといった20世紀の哲学者は邪悪や悪い奴よりもバカに危機感を感じて糾弾しました。そういう系譜の中で研究していれば、バカを訴えかけたいのはわかります。
でもなんか変ですね。
まず「バカ」が付くタイトルって「バカ」っぽいでしょ。
お笑いのネタで、「そんなにムカついてるなら言ってやれよ!」「バカ!バカ!バカ!」「小学生か!」みたいなやり取りを見たことがあります。
「バカ」という言葉は陳腐です。
そんなタイトルに釣られて手に取る人はバカしかいないんじゃないかなあ。(私はまんまと手に取りましたが)
もちろんこの新書を書いている人は高名な人だから、私が普段悪口で使う「バカ」と違う意味合いで「バカ」を使っています。
でも見た目は一緒。
著者の思う「バカ」を本を買う前に正確に捉えて買っていく人はどれぐらいいるのでしょうか。
もしくは単に「バカ」をタイトルに使うことで取っ付きやすさとインパクトを出したいというマーケティングだったとしたら。
ならば私はそんな本は買いたくない。そんなの付録で雑誌や声優陣でごまかすゲームのようなものです。
そんな風に「バカ」という言葉を考えていたら、「バカリズム」ってすげえなあと思いました。
「バカ男」とか「バカ家族」とか「バカ殿様」のようにどんな単語でも「バカ」をつけたら、どうしようもないとか嫌なイメージが浮かぶ。「泥ソース」のように「バカ」は味が強いからどんな料理も、コテコテな関西の味にしてしまうみたいな感じです。
でも「リズム」だけは違う。
「リズム」だけは、他とは全く違い「バカ」と合わさることで究極のハーモニーを奏でる言葉になる。
「バカ」界のカリスマです。
すごいなあ。