教養をつけたいと言っていたあの時の自分に
こんにちは。
大学生の頃、社会人になる不安から名著と呼ばれる本を読み漁っていました。
大人は口を揃えて「教養をつけろ」とか言うけれど教養とは何かを説明してくれる人はいません。
ただ何となく、「読書=教養力の筋トレ」みたいなイメージなのでひたすら読書していました。
バイト代を握りしめて、烏丸通の大垣書店へ行っていたことを覚えています。
「夢をかなえるゾウ」に
「期待は感情の借金やからなぁ」「まだ何の苦労してへんのに、成功するかもしれへんていう「高揚感」を前借りして気持ちようなってもうてんねや。」というガネーシャからの突き刺さる言葉があります。
本屋には「1時間で〇〇がすべてわかる本」とか「〇〇で成功するための3つのこと」とかガネーシャのいう成功体験を前借り出来てしまう、書籍が様々あります。
そういった前借り系に本も買いました。が、記憶に残っている本はほんの数冊。
少ないバイト代を投資するわけですから、本選びを考えた方が良かったと反省してます。
だから、教養とは何なのか、必死に考えています。
そもそも教養とは何でしょう。端的に表現することは難しいですね。
日本人の99%が読めない漢字を読むことが出来ることでしょうか、
世界史の教科書に隅っこに書かれているような中世のインドの王様の名前を知っていることでしょうか、
それとも、次期自民党総裁を予言して言い当てることでしょうか。
内田樹の「街場の現代思想」という本に雑学と対比しながら教養を説明してありました。
時間というファクターを勘定にいれることで雑学と教養の違いははっきりする。
人間的な知性活動は「そのこと」を一つのトリガーとして「お話を一つ思い出す」という時間的な歴程をたどる運動のことである。
本当にいい本だと思うので是非読んでいただきたいのですが、私流に簡単にまとめると
「雑学力がある人とは、早押しクイズで回答するときの思考回路のような
知っていることを脳から瞬時に取り出す能力があるという意味です。
対して教養があるとは自分の脳には「問い」に対する解はないが、回答がありそうな方向に思考を巡らせ、
かつて読んだ本や文献、経験に少しずつヒントを見つけて、
問いに対する答えの物語を完結できるということです。
すいません。わかりにくいですね。
教養力とはわからない問題の解答を導き出す能力ということですね。
これを読んで僕は、本の中で注目するべきところが変わりました。
筆者の問いの立て方、たとえ話の用い方で
答えに一見関係なさそうな周り道の中で著者の教養があるのですね。
教養のある人の教養を発揮している部分に触れることが教養をつけるための近道なのだと思います。
勿論、今まで知らなかった新しい知識を付けることも大切ですが、
知識と知識の間のつなぎ目の部分に注目して読んでいこうと思います。
結局は本を読もうという話ですが、メリハリをつけて読書することが出来そうです。
おしまい。