ブログの世界で「尖る」とは?
こんにちは。
私 「違う違う。お笑いのことは書くけどもそっちは書きませんよ。人間関係の話とか日々気づいたことをつらつら書いてます。」
先輩「え?そんなん誰も見てくれへんやん。もっとストレートに人の気になること書いたら?」
私 「確かに見てくれてないけど。書きたいことを書くんです。僕は。」
先輩「お前が知ってる裏事情とか、給料明細公開とか、まだ売れていないかわいいアイドル紹介とか、心霊スポット行ってみましたとか、そういうんがええやろ」
私 「まあ、ネタがなくなったら書きますよ。」
先輩「…お前、尖ってんな」
えっ、俺尖ってた?尖ってたの? なんか恥ずかしぃ。
(旅行に行けなかった顛末は下の記事に書いてあります。よかったら、是非。)
彼女と計画していた海外旅行を親にキャンセルされちゃったよ。 - なんとなく僕たちは大人になるんだ
まず「尖る」って
この文脈の「尖る」はお笑いとか芸術の世界で使われる言葉です。辞書で調べてみると、適当なやつがないので定義は曖昧なんでしょう。
お笑い芸人の中で尖っている行為で思いつくのは、
- お客さんの笑いより自分のやりたいことを優先する
- 他の芸人とは群れない
- ネタだけで勝負する
- 「ちょっと待ってくださいよー」などとガヤをいれたりせず、リアクションを取らなかったり、いわゆる若手芸人的なことをしない
定義がないのでよくわかりませんが、昔お笑いの世界にいた先輩がこういった意味合いで使ったので間違っていません。
よくテレビで活躍している芸人さんの昔のエピソードで「こいつ、実は若手の頃めちゃくちゃ尖ってたんですよ」というものがあります。私はそこからこの言葉の意味を覚えました。
確か、フットボールアワーの後藤さんも昔は尖っていて、芸人と触れ合わずすごくしゃべりづらい雰囲気で、ネタはパスタ一本だけ持ってネタをしていたそうな。
要するに、教科書に書いてあることはやらないよ、俺は俺だけを信じるスタイルってことですかね。
ブログに当てはめてみると
じゃあ、それをブログに当てはめてみると…。 あれっ、上手くいかない。
お笑いの場合は笑いを取らないといけない。映画はお客さんに見てもらわないといけない。じゃあブログは?
ブログは馬鹿なこと書いても、日記でもいいし、ネガティブなこと書いても、オチがなくてもいい。たくさんの人に見てもらいたい人も誰にも見てもらわなくても、自分のために書いている人だっている。
最終到達点が人それぞれだからそもそも教科書がない。じゃあ尖れないんじゃないの?
晴れて私は潔白を証明できました。
ブログでどうやって尖ろうか
この記事が「ブログ最高!」で終わってしまうのも勿体ない。
じゃあ無理やり尖ってみよう。尖りに尖った「取り扱い注意!フォイの尖りブログ」を始めたらおもしろいかもしれないぞ。
今回は多くの人に見てもらうということを最終目標にしています。だれもやっていない、自分のセンスだけを信じて、人気者になれるのか。いやなってやるぅ!
で、最初の記事は「全ブロガーへ宣戦布告」…っと思ったけれどダメだ。炎上商法とみなされるわ。炎上商法が身近になってきているこのご時勢。流行っていることをやって結局みんなに見てもらいたいという真意がバレバレ。これじゃ尖ってないな。
じゃあ後藤さんのエピソードを借りて「パスタ一本について真剣に考えてみた。」というのはどうだろう。内容は、
「皆さんはひと皿に盛られているパスタは何本から成っているか考えたことがありますか。意識ぜずパスタを食べていますが、それはとても重要なことなんです。なぜならパスタには一本一本それぞれ物語があるからです。では今日はこの一本のパスタについて。彼は、アメリカのカンザス生まれで…」
ああしんどい。確かに変わってるかもしれないけれど、書いていて楽しくなかったらなんの意味もない。絶対に続けられないわ。面白くないし。却下。
じゃあめちゃくちゃ面白そうなタイトルだけ書いて内容は白紙というのはどうだろう。昔レッドカーペットで鳥居みゆきが何にも書いていないフリップをめくりながらネタをしていました。あれは結構ウケていたからいいかもと思ったけど…
めちゃくちゃムカつくな。私が読者だったら。アイドルの水着画像をクリックしたらおっさんの画像と共に「騙されたな。バーカバーカ」ってコメントが出てくる手法と一緒じゃないか。
どうやら無理っぽいみたいです。
まとめ
- ブログは何書いてもいいから尖がりなどないない。そこがいいね、ブログ。
- 尖ろうとする行為が、そもそも尖っていない。
- 最初のイワークの例えが伝わっているかが不安なため、例えはほどほどにしようと学びました。
以上です。読んでいただきありがとうございました。
いつものやつ貼っておきました。クリックお願いします。